河畔を駆ける夢

 

1968年、開高大兄は西ドイツに居た。

アウシュビッツ裁判の取材のために訪独していたのだが、大兄はこの地で始めてルアーと出会う。

 

釣り好きの大兄は取材の合間に一軒の釣具店を訪れ、店主に勧められるままにパイク釣りに赴き、そこで生まれて始めてルアーで魚を釣る事になる。

 

大兄のルアーフィッシングの旅の出発点はこの日であり、以来フィッシュオンの取材やオーパ!などで南米・北米・モンゴルと世界各地を巡り、多くの釣りファンの夢の具現者となっていく・・・。

 

もともと「芥川賞作家・開高健」のファンであった私は「フィッシュオン!」で大兄が無類の釣り好きであった事に驚くとともに、ファンである事の度合いは一気に加速していったものだった。

 

ドイツから帰国した大兄はその時期に「日本人でルアーフィッシングするのは俺くらい」と本気で思われていたらしいが、恐らく大兄と同じ世代のアングラー達の中では密かに何人もの人たちがルアーフィッシングにすでに手を染めていた時期でもあった。

 

日本のルアーフィッシングの黎明期でもあったのだな・・・。

大兄がそれを知る事となるのは「忠さんのスプーン」で有名な「常見 忠」さんとの出会いだったらしい。

 

わが師、瀬戸内の釣り仙人「木原名人」もそのうちの一人だ。

広島市内ではまず手に入れるのは困難だった「トビー」や「ダーデブル」と言ったスプーンで渓魚を楽しんで居られた。

 

私が師に感化されないはずもなく、トビーやダーデブルや、メップスのスピナーを手に入れ、いそいそと中国山地の奥深くを徘徊する事になるわけだが、大兄を知る事となったのはその数年後だった。

 

 

 

 

 

それから20年の歳月が流れ、仕事で数年間渡米していた私に一つの話が舞い込む。

 

「モンゴルに釣りに行け」

と言う話だ。

 

それも開高大兄がタイメン(イトウ)を釣った、あのモンゴルの奥地の「チョロート川」でだ。

 

オファーを呉れたのはかの有名な旅の雑誌。

企画内容はコウだった。

「バイク乗りで、冒険家で、エッセイストで、釣り好きの、風間深志氏との二人旅」

「モンゴル・バイクの旅&イトウ釣り!」

 

と言う企画だ。

 

大兄曰く

「空と地平線だけで出来ている草原」

 

をバイクで疾走し、山間部まで到達してイトウを狙うと言う、スケールの雄大な冒険だ。

胸が震える内容ではないか?

 

バイクレースでたいした成績も残せなかったし、釣りの腕前もさほどでも無い私にとって、僥倖と言う以上のサプライズだった。

何度思い返しても残念でならない。

 

生涯二度あるチャンスでも無い。

私には仕事にも家庭にも責任があったし、とても2週間近くもそれらを犠牲に出来なかった。

 

長く悩んだ末、苦渋の決断でお断り申し上げた・・・。

 

その後、紙面で風間氏のモンゴルの釣りが掲載される事はなかったので、私の優柔不断が企画を壊してしまったのかもしれない・・・。

 

今日、仕事が早く終わり、家に帰ってテレビを点けると、釣りビジョンで「オーパ、モンゴルの釣り」に関連した放送をしていた。

 

懐かしい大兄の映像や、当時を語る忠さんの顔が、心の底に眠っていた悔恨を呼び覚ます。

 

チョロート川の河畔でロッドを振るアングラー作家「村上氏」の姿が、沸きあがってきた焦燥に拍車をかける・・・。

 

夢を夢のまま終わらせるのは、誰でもない自分自身だ。

夢の追求は男なら誰しも持ちえるロマンだろうが、万難を掻い潜らなければトロフィーを手にすることなど出来ないのだ。

 

人生は儚くも短い。

チャンスも何度もは訪れてくれはしない。

偉大なる先輩達の足跡を凝視するだけの私は、胸疼く夜を過ごさねばならない。

 

せめてバーボンを片手に河畔を夢見て眠ろうか・・・。

 

■風間深志氏 

http://www.horipro.co.jp/talent/SC008/

 

■常見忠氏

http://www.omomo.net/sakana/page/s_0113.html

http://www.omomo.net/sakana/page/s_0112/s_0112.html

 

Written by leon