~心が震える1匹~
釣りも長くやっているとだんだん色んな感激が薄れてくる。のべ竿ではじめて釣ったスズキやアコウはひざが震えるほどの感動を覚えたものだった。
もうひどく古い話になるが、30年程前、まだ私が20代前半だった頃、全日本磯釣り連盟の荒磯クラブに所属していた折に、当時日本でも有数の石鯛のメッカ「島根県・日の岬沖・トモ島」へ本石を狙っての釣行だった。
その日も4人で渡礁していそいそと釣り支度をし、それぞれのポイントへ仕掛けを投入して当りを待つ。釣り始めて1時間も経過しただろうか?隣に釣り座を構えていた、始めて見かける他クラブの釣り人の竿に待望のあたり!
すわ!と竿に飛びつき引き込みを待つ…。直後に見事な石鯛らしい三段の引き込みがあり、竿先が磯際へ一気に持ち込まれる!件の氏は全身に祈りを込めて大合わせでのけぞる「食った!乗った!掛けた!」と大きな声で叫びながら竿を立てにかかるが手馴れていないのか?上手くあしらえず竿をのされている。
私はすかさず助っ人を買って出て竿の前に回りこみ、肩に竿を入れて起こし「巻いて、巻いて!」と励ます。程なくして、ようやく「最初のひとのし」をしのぎきり、石鯛は底を離れたようで少しずつラインがスプールに回収されていく。
その後も2~3度の猛烈な突っ込みがあったものの、仕掛けが大仕掛けであった事が幸いし、水面に姿を現した。
「でかい、でかいでかいでかい!」
確かに大物であった。すでに玉網を用意していた氏の釣友が一発でランディングに成功し、引き上げる。見事な本石60cmオーバーだった!廻りの釣り人全員がつりの手を止めて観戦しに集まってきている。
「おお~、凄い!」
「でけ~なこりゃあ!」
「おめでとう」
「はは~、やりましたね~!」
様々な賛辞の声を浴びながら、氏の顔は引きつりながらも満面の笑顔で
「ありがとうございます!ほんとにありがとう」
と誰彼無く礼を言いながら握手をした。
ひとしきり皆で大物を観察した後、めいめいの釣り座に戻り、自分の釣りを再開する。30~40分ほども経過したであろうか?氏の姿が横にないのに気付き、ふと振り返ると、氏はまだ磯の上に置いた石鯛の前に屈み込んだままじっとしているではないか!?少し気になって、振り返ったまま観察しているとなにやら様子がおかしい。
肩が震えている。
あれ?調子でも悪いのかな?と気になり歩み寄ろうとした私は、ギクっとして思わず立ち止まってしまった。嗚咽が漏れている…。涙が流れている。30代も後半らしい、大の男である。私は少しためらった後、クーラーからビールを二本取り出し「やりませんか?」と差し出す。氏は急いで涙をぬぐいながら笑顔で「いやははは、お恥ずかしい!もう、嬉しくて嬉しくて!」と言いながら、ビールを受け取った。私は隣に腰掛けて話を聞きにかかる。
「いや、実はね、私始めて釣ったのですよ、石鯛!」
「4年ですよ。4年!何度ここに来た事か!」
「皆は釣れるのに、私だけずっとボウズでした」
「悔しくて、悲しくて、情けなくて、何度やめようかと思ったか…」
と、自分の苦しかった過去を、鼻をぐずぐず言わせながら氏は語った。聞いている私もなにやら鼻の奥当りが温かくなってしまった。
晴れて穏やかな海だった。
心地よい5月の風が吹き、そこここにカモメが飛び交い、磯際ではたくさんの小魚が群れて遊んでいる。私は、胸の中に何か新しい不思議な感情が湧き出ていた。
釣りの面白さや、奥深さと、釣り人の心を捉えて離さない磯の王者達に対する畏敬の念などがとめどなく…。もう一度氏の顔に目をやると、氏が落とした涙は、磯風に溶けてきらきらと輝きながら、日本海へ散っていった。
Written by leon