瀬戸内の釣り仙人〔4〕
Written by leon
にはんの釣り
(月刊誌「関西の釣り」に毎号執筆されていた、木原名人の釣り紀行のタイトル。「にはん」とは二間半の竿と言う意)
まったく魅力的な方だった。
釣り名人としてだけではなく、多方面に造詣の深い方で、一緒に居ても話が尽きることなく、私にたくさんの知識や事物の道理を教えてくださった。
師は元々機械技師で戦時中は無線兵として従軍されたようだ。そのせいか、アマチュア無線でも本当に初期の頃のコールネームをお持ちで、通称DG4「デザートドッグ」と呼ばれていた。
私がクラブに入会したのは1976年で、まずビックリしたのは55名のクラブ員の八割が車に無線機を装備していたこと。
会長である師の影響であることは間違いないのだが、コレは皆で釣りをする際に大いに武器となっていた。
例えば、倉橋島、江田島、能美島、というように各グループに分かれて釣りをしている場合に、風向きや風裏の情報など、海況をリアルタイムで連絡を取り合えるのだから便利この上ない。
今は携帯電話の普及で当たり前のこととなったが、当時はここまでこだわっている釣りクラブは珍しかった。
そんな師が愛した釣りは「のべ竿」による釣りだ。
フライもテンカラも、ルアーキャスティングも、経験は当然されていたが、
「もっとも根源的で、人の方にアドバンテージの少ない、のべの釣りが一番面白い」
と言う師の考えに共感した人たちで作られたのが「広島さお釣りクラブ」であり、今もなおソレは継承されている・・・。
私もずっぷりと延べの釣りに嵌り、15年近くを延べ竿のみで過ごしたのだが、そのときの経験は大きく、メバリングの随所に生かされている。
それは延べの釣りならではの事で、例えば、魚が浮いていれば錘を極小に打ち換えて表層を舐めるように引くことも出来、護岸際に張り付いているような状況であれば、フォールスピードを竿で任意に支配しながら壁際に落とす。
流れのある場所では、潮に乗せて一緒に歩きながら探っていく。
これらのテクニックはすべてメバリングに即流用可能であり、無意識のうちや、結果的に同じ事をしているアングラーも多いことだろう。
決定的なのは、「ルアーFはリールを巻かなければいけない」と言う誤認識だ。
ロッドワークで何とでもなることを述べの釣りは教えてくれた。
ビニール袋で?
ワーミングのヒントもあった。
師は20数年前のある日、とんでもない事をして見せてくれた。
3人で浜田へ釣りに行く際に途中釣具店に立ち寄り、いつものように青虫を仕込んで出発したのは良いが、現地についてしまってから購入した餌をレジ前に置き忘れていることに気が付いた。
時間はすでに夜半で現地で購入しようにももう釣具店は閉まっている。餌が無くては釣りにはならない・・・。
私と、餌を忘れた先輩が、呆然としていると師が言った。
「まあ、しょうがない」
「あるもので何とかしよう」
「そのお弁当を入れているビニール袋を貸してごらん」
師はビニール袋を受け取るとはさみで切り始めた。
三角に「ペナント旗」状に細長く切り裂く。
あえて言うなら「イカナゴのサイズ」だ。
それの幅の広い方に針をチョン掛けする。
「コレで釣ろう」
「釣り方はね、錘を軽くして、糸を張ったまま沈める」
「糸が緩まないように、竿をゆっくりとサビクようにするといいよ」
「メバルの状態が良ければ充分釣れるから」
と言ってニコリと微笑む師匠・・・。
果たして、その日はメバルの状態はすこぶる良かった。
師の言うとおりの方法でメバルが入れ食った。
ビニールの切れ端でだ・・・。
結果的にコレが私の初めての「ワーミング」となった。
時を同じくして、開高 健の「私の釣魚大全」にも出てくるが、東京浅草のある餌問屋が作った「ロッカイ」と言う擬似餌が釣具店にあった。
ビニールでゴカイをかたどった物だが、「ゴカイの上を行く」と言うのネーミングの趣旨らしい。
コレを見かけた私が、ガサっと購入したのは言うまでも無かった。
たくさん釣れてストックがなくなった頃にはすでに製造中止になっていたが・・・。
Written by leon