瀬戸内の釣り仙人〔2〕
Written by leon
思いが叶った日
その日は無風で満月、静かな夜だった。
海面は月明かりを反射させて、文字通り鏡の如く冴え渡った3月半ばの春の海は、先月までの北風吹きすさぶ寒の地獄海とうって変わった優しい表情を見せていた。
かねてからの念願だった、「師匠との二人釣行」。当時の私は大人とはまだ言えない20代の後半、まあ、いわば「生意気盛り」だ。
そんな私の素直な欲求は、一目で私の心を貫いた「木原名人」を独り占めしたいと言う、恋愛感情にも似た思いだったし、具体的には「一度は二人きりで釣りがしたい」だった。
そんなある日、師から電話があった。
「加来君、今週末チョイと行きたいところがあるのだけど、ここ数年釣れていない場所なので皆は嫌がって他所へ行くらしい」
「良かったら一緒に行かないか?」
天にも昇る心地がした。願っても無い申し出だった。当然二つ返事でお供をさせた頂いた。後にも先にも、10年間のクラブ在籍時代でも、たった一度の師との二人釣行となった。
音なしの構え
師の愛車を私が転がして、山陽路を2時間ほど走って到着した見知らぬ港の風景に私の胸は高鳴った。
海は絶好の「めばる凪」
隣にはやさしく微笑む師の顔があり、釣る前から私の魂は至福の域へと昇華していたと思う・・・。
フィールドは師の前言どおり余り芳しくなく、思うように魚信を伝えてはくれなかったが、私の魂は、竿を持つ手は、歓喜の詩を謳っていた。
何合目かの転戦の後、最初のビッグポイントに行き当たった。
師の振るロッドは4mチョイ、当時で言う「二間半」の延べ竿。
私のは購入したばかりの三間竿。仕掛けは教えられたとおりの2本針仕掛けに餌は韓国からの輸入による「青ゴカイ」(チョウセンゴカイとも青虫とも言う)が餌だった。
私は師より4mほど離れた場所で、左向きに背を向ける形で捨石の肩を探った。すぐに小さな魚信があり、17センチほどのメバルが釣れたが如何にも小さい。
当時は一目で20cmをはるかに超すメバルでなければ当たり前のようにリリースしていたので、当然コレは論外。
立て続けに3匹同サイズが釣れたところで師の方へ向き直り、「小さいのしかいませんね、お師匠はどうです?」と問いかけた。
「ん?いや、ソコソコ良いのが釣れるよ」
師の答えにビックリして「え?見せて下さい」と言って腰魚籠をあけてみると、なんと25~27㎝の良型が3匹入っていた。
魚籠の底でじっと横たわっていたメバルは、私がつついたのをきっかけにバタバタと暴れ始め、その瞬間に私にある疑問が噴出した。
わずか4メートルしか離れていないのに、こんな大型のメバルが釣れた気配が全く無かった事に気がついたからだった。
半疑問程度のまま師の傍へ寄り、「チョッと釣るところを見学します」と言って見ていると、師は振り込んでいたロッドをすう~っと立てた。
注視しているとロッドは曲がっているがさほど魚信らしい魚信は竿先には表れてはいない・・・。
ベタ凪の海面に突き刺さったラインの先にメバルらしき魚影が見えたが、ソレは不思議なほどに真っ直ぐ海面に向かってスムーズに上がってくる。
「ふっ」と言う程度の軽い抵抗で海面の表面張力を破って魚は師の左手に納まる。そしてこれまた「ふっ」と言う程度の軽やかさで針が上顎から外されてメバルは腰魚籠の中へと入れられた。
余りの軽やかさに呆然としながら、師の次の動作を見ていると、魚籠へ入れられてから3分は経過しただろうメバルがバタバタッと音を立てて暴れた。
「ぼ、僕もソコへ投げていいですか!」
「うん、やってご覧」
優しく応える師の真横に振り込んだ私の仕掛けにもメバルはすぐに応えてくれた。
「コツン」「モゾモゾ」
と来る魚信に反射的に合わせを入れると、竿がグッと締め込まれ、ラインは左手の捨石方向へキュイ~ンと糸鳴りを立てながら奔る。
「ならじっ」と竿を立てて魚を浮かせると、25センチはあるメバルが水面でバババッと派手な音を立て暴れた。
この瞬間に「疑問」が明確な形として判明した。
そう。師が釣ったら魚が暴れないのだ。
どころか、魚籠に入れられて数分してから始めて、己の置かれた運命に突然気づいたかのような、我が身が水中に無いことを突如理解したかのような、恐ろしく違和感のある「間」があるのだった。
余りの違いを訊ねると
「うん。釣られた事に気づかれないように釣っているつもりだよ」
「皆魚を驚かしすぎてるしな・・・」
真正の達人
以来、この台詞は何度と無く聴く事になる。
メバル仕掛けの延べ竿でスズキを掛けると、一も二も無くあっという間に引きちぎられる。
私もだが初先輩たちも幾度と無くやられた。
その都度師はちゃんと釣り上げ
「君達は魚を驚かせすぎる・・・」
とのたまう。
始めて知った。
真の達人が到達している領域の高さを・・・。
「よく釣る」
「大きいのばかり釣る」
師に出会うまでも大手釣りクラブに居た私は「釣りが上手い」方は多数見てきた。大会で連続優勝するような猛者連も何人と無く。
現在でもソウだが「上手い人」は沢山居る。しかし本当に凄い人は出合った事は無い。
現代のような世知辛い時代では、もうあんな仙人染みた境地へ到達する釣り人は輩出されないのかもしれない。
あるいは「欲」を持って釣りをしている間はアノ境地などへは到底いけないのかもしれない。
当然未だに欲だらけの私は、師の弟子にして「開眼」なぞはまだまだ夢のまた夢であるし、ある意味「欲」の追求をまだまだしなければいけない己の釣りに対する「熱情」を持ち続けている「若者」なのだろうな・・・。
Written by leon