Written by leon

 

「種の起源」のダーウインは、昆虫記のファーブルを評して「比類なき観察者」と言ったらしい。

 

一方のファーブルはダーウインの学問に対して否定的な見方をしている。理由は「推論で語っているから」と言うことらしいし、ファーブルにとっては「この目で観察したものがすべてであるから」と言うのが原点らしいが・・・。

 

 

まあ、こんな感じの文章を見ると俺の場合はその是非がどうであるかは全く関係なく、すぐに釣りに結び付けて考えてしまう(笑)

 

 

 

確かに一流の腕と実績を持つ「名人」と呼ばれる釣り人は例外なく観察眼が鋭い。

 

だからこんな人は何処へ行こうが、事前情報があろうがなかろうが、必ず狙いの魚が群れている場所を見つけ出すことに長けている。

 

 

 

だから、釣りが上手いと呼ばれる人たちの「技術」の大部分はこの観察眼、観察力によるものだと思うな・・・。

 

ま、ファーブル的能力とでも言おうか。

 

 

 

キャストが上手いとか、道具の使い方に長けているとか、食わせの技が凄いとか言う部分は、安定した釣果を上げるのには間違いなく必要な技術になってくるが、「魚が居ないところ」ではある意味何の役にも立たない二次的な能力であり技術であるわけだ。

 

 

 

「○○メソッドを体得して挑んだけど、ホゲちゃった」

 

ってなことになってしまう(笑)

 

 

 

そんなこともさておき(爆)、俺的には釣りを楽しむために(上達するためにも)、観察力に加えてダーウイン的な「想像力」も不可欠だと思う。

 

俺の場合は冒頭の話で言うなら、どちらかと言うとダーウインタイプだ。

 

見たことも無い(釣りの場合、その瞬間を見ることなどほとんどできない)事を平気で「○○した状態でメバルは食ってきた」と断定口調で言ったりしているからね(大爆)

 

 

 

過去の観察(経験した事実の断片)を繋ぎ合わせて、「推論」と言うツールでまとめて一つの答えを導き出す。

 

ま、こういう風に「経験則的な答えの出し方」をするからファーブルタイプの方達(深い解釈ではなくて、とりあえずの二極構図ね・笑)には批判を受けやすい^^;

 

 

 

しかし、見た事実だけを頼りにするのも良いが、趣味の釣りでは想像力も必要不可欠だ。

 

初めて試みた「想像」が結果に結びつく事がおうおうにしてある。

 

 

 

過去に経験した最高の実例は大雨の影響でできた「水溜り」で岩魚を釣ったことだ。

 

 

 

もう30年近く前のとことだけど、「いつものその場所」は本流から離れた「窪地」で、細い流れも何も入っているわけではなく、単にぺんぺん草が生え居ているのみの、要するに「岸辺」であって川ではない陸地なのだけど、そこに水が溜まっていた。

 

 

 

そこへ試しにミミズを入れると一発で食ってきたのは、中国地方特有の岩魚類である「ゴギ」の26センチくらいの奴だった(笑)

 

こんなことがあるんだよ実際・・・。

 

増水で危険を感じた岩魚が水溜りに逃げ込んで、水位が下がってもそこへ居残ってたわけだけど、誰より釣った俺が一番びっくりしたね(爆)

 

 

 

ま、この原点を教えてくれたのも師である「木原名人」だ。

 

「雨上がりの水溜りでも竿を出してみるくらいでないと、一人前と呼ばない」

 

って言われて、チャンスがあったから実践して見たのだけどね^^;